昭和歌謡

筒美京平を偲ぶ 昭和歌謡を作った大作曲家

昭和歌謡のヒット曲を次々と作ってきた作曲家の筒美京平氏が令和2年10月7日に亡くなった。筒美氏は昭和の代表する歌謡曲を生み出してきた大作曲家。彼の代表曲など振り返ってみよう。

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「ブルー・ライト・ヨコハマ」の初ヒットから70年代

筒美氏は、1963年大卒後に日本グラモフォン(後のポリドールレコード)に入社。66年に作曲家デビューしている。初めてのヒット曲となるのがいしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」だ。

70年代に入り尾崎紀世彦の「また逢う日まで」が日本レコード大賞を受賞する大ヒット曲となりその後は破竹の勢いで曲を提供していく。

アイドルという言葉が初めて定着し始めてきたこの時期に麻丘めぐみや浅田美代子らにヒット曲を作る。南沙織、郷ひろみ、野口五郎など70年代にデビューしてくる代表的な歌手の多くに曲を提供している。

70年代は、「スター誕生」など歌手への登竜門となるテレビ番組も始まり歌謡曲が最も人気が出てきた時代。この番組からデビューしてきた岩崎宏美や桜田淳子などへの曲も作ってきた。昭和歌謡の耳馴染みある曲の多くは筒美氏の作曲によるものだ。

その中でも太田裕美の「木綿のハンカチーフ」は筒美氏が最も気に入っていた曲のひとつとも言われている。

80年代のきら星のアイドルたちへの曲

80年代に入るとたのきんトリオ、松本伊代、早見優、河合奈保子、小泉今日子、本田美奈子、柏原芳恵などきら星のごとくアイドルが排出されていく。これらの歌手のヒット曲に筒美氏の曲が入っている。耳にする昭和歌謡の作曲家名を調べていくと筒美氏の名前がいかに多いかに気がつくはずだ。

そして平成に入ってからも曲を提供し続け亡くなる前年の2019年まで作曲活動は続いてた。昭和歌謡の屋台骨を作ってきた作曲家といっていい筒美京平氏に哀悼の意を表します。

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